今日も崖っぷち女

職なし金なし時間あり。親は離婚、兄は失踪中。私は金なし100万単位の借金中ニート。それでも今日も生きてます。

これが私の人生です。14




、、、安楽死



は?

お父さん何言ってんの?


これが正直な感想でした



たしかに苦しそうな犬の姿を見ていると

楽にしてあげたい

代わってあげたい

という気持ちになっていたところもあります


人間なら痛いだとか苦しいとかこうしてほしいとか、気持ちを言葉で表現できても犬にはそれができない

発作中は激痛が走っているのかもしれない

逆に痛みも何もなく体が勝手に震えているだけかもしれない

だけど何一つこちらには分からない

当然だしどうしようもないことです


でも発作の時以外はめちゃくちゃ元気で、走り回るわ飛び跳ねるわ暴れ回るわで、健康な子となんら変わりません

食欲も落ちているわけではなく、むしろもっとエサくれや!とギャンギャン吠えてうるさいくらいです


元気な姿があるからこそ、そんな簡単に安楽死を選びたくありませんでした



「 どんなに発作が辛くても、この子にはまだ生きていてほしい

いつ死ぬか分からないけど、もっと一緒にいてほしい 」


ただそれだけしか私の中にはありませんでした



ペットの安楽死の選択には、人間のエゴだとか、ペットの体や気持ちのことをもっと考えてやれだとか様々な意見があると思います

その中でも私はどちらかというと今も昔も賛成派です

でもいざ選択を迫られるとやっぱり難しいもので、その当時はまだ生きていてほしいという気持ちが強く、私が出した答えはNoでした



父にそのことを伝えると

「 お父さんも安楽死はいやだ 」

という答えが返ってきました


じゃあなんで急にそんなこと聞いてきたんや、、と思っていると

どうやら先日行った所とは別の動物病院に行ってきたらしく、そこで獣医に


どの病院に行っても病気の原因が分からず治療法もないと言われた

犬が苦しそうにしているところを見てるのも辛いが、何よりもし犬が死んだ後、娘が悲しんで立ち直れなくなる姿を想像するのがしんどい

死ぬ瞬間の姿が、発作で苦しみながら死んでいくよりも、安楽死の薬で眠るように穏やかに天国に逝く姿の方がいいと思った


ということを伝えたそうです

安楽死の提案は犬のためでもあるけど、私のことを心配してくれてのことでした



そして獣医には

「 たしかに安楽死の選択もないわけではありません。ですがそんな簡単に決めないでください。とにかくまずは私の所へ連れてきてください。原因が分かるかどうかは分かりませんが、少しでもワンちゃんと長くいられるような方法を一緒に考えましょう 」

と言われたそうです


その翌日、私と父とで犬を連れて行きました




もしあの時、父があの動物病院に行っていなかったら

もしあの時、父が違う動物病院へ行き、安楽死を勧められていたら

もしかしたら、私の犬はとっくの昔に死んでしまっていたかもしれません



偶然だったのか必然だったのかは分かりません

ですが、あの動物病院とあの獣医に出会えて、間違いなく私たち家族は救われました





15へ続く







これが私の人生です。13




獣医から言われた衝撃的な言葉

それは





この子はいつ死ぬか分かりません 




言葉を失う私に、獣医は検査結果などを説明してくれました


「 検査の結果ですが、他の病院と同じくはっきりとした原因は分かりませんでした。恐らく脳が関係していると思われます。

余命ですが、この子はいつ死ぬか分かりません。だいたいこのくらいだろうとは断言できかねます。平均寿命まで生きるかもしれませんし、突然亡くなることも考えられます。それが1年後なのか1ヶ月後なのか、それとも明日なのか。それは分かりません。でも最悪今日亡くなることだってあります。その可能性が十分あることを忘れないでください 」



私の心に次々と突き刺さる獣医の言葉

精密検査をしても原因が分からない

余命も分からない

今日死ぬかもしれない


病気持ちだから平均寿命まで生きるのは難しいんじゃないかなとは、ずっと前からなんとなく思っていました

ですが、いつ死ぬか分からない

それが明日なのか今日なのか

1番避けたかった突然死の可能性に、何も考えられなくなりました



「 辛いとは思いますが、ご理解ください 」


そう言われ、入院専用の部屋に通してもらい、犬を迎えに行きました

そこには最後に見た昨日のぐったりした姿とは真逆の、元気いっぱいの犬がいました

こちらを見つめながらしっぽをブンブン振ってワンワン吠えます

1日ぶりの再会に、とても嬉しそうにケージの中で暴れまわっていました


ケージから出して抱っこすると、私の顔を舐めようと腕の中でガンガンに動き回る姿

必死に愛情表現をしてくる姿に、一瞬検査結果のことなど忘れ、笑顔になりました



帰りの車の中でも

久しぶり!ねえなにしてたの!?どこ行ってたの!?さみしかったよ!ねえ!!

と言わんばかりに飛びついてくる犬

誰がどう見たって病気とは無縁の元気いっぱいな様子に、おとといの発作もさっき言われた結果や余命のことも、全部が悪い夢だったんじゃないかと思いました



ですがそんなはずもなく


退院から数日後、またあの激しい発作が何度も襲いかかります

その度に、このまま死んだらどうしよう、、、という恐怖や不安に襲われました


落ち込んで元気のなくなっていく私と苦しそうに発作に耐える犬

そんな姿を見ていた父が提案したこと


それは





安楽死でした




14へ続く





これが私の人生です。12



翌日

動物病院へ行き、昨日の症状や様子、持病のことなどを獣医に説明しました

MRIなど精密検査をした方がいいと言われ、1日検査入院することに



「 検査は今から始めますが、検査前に飼い主さんがいなくなったらわんちゃんも不安になるので、麻酔が効いてから退室してください 」


そう言われ、少しの間その場にいることになりました



全身麻酔の注射をし、横になってみるみるぐったりしていく犬

目はぼーっとしていて、口も半開きになり舌がダラーンとなっていました


私は全身麻酔をした経験がなく、どんな感覚になるのか分かりませんが、した人曰く

" 全身の力が抜けて、だんだん眠くなるだけ "

そう聞いたことがあります

なので、犬も今そんな状態で眠くなっていってるんだろうなと頭で理解していました

でも力なくダラーンとしていて、目も虚ろ


このまま死ぬんじゃないか


そう思ってしまうくらいにぐったりした様子で横たわる犬に、私は泣きそうになりました



目をほぼ閉じて、半分意識がない状態になってから病院を後にし、帰宅しました


シーンとした家の中

いつもなら、玄関のドアを開けるとすぐそこで嬉しそうに飛び跳ねて私を出迎えてくれる犬

私が台所や洗面所に向かえば、どこ行くの?と言わんばかりに後ろをついてくる犬の足音

お腹が空いた時、おやつちょうだい!ごはんちょうだい!おなかペコペコだよ!と吠える犬の鳴き声

かまってほしい時、近くに寄ってきたり私の足の上に乗ってきたりした時に感じる犬の体温


日常に溶け込んでいた光景や音、ぬくもりがぱったりとなくなりました


別に死んだわけじゃない

今だって病院で寝ているだけ

そう分かっていても、突然なくなった犬の存在にとても苦しくなりました



動物病院に行ったのは午前中だったので、午後から学校へ行くこともできましたが精神的に参ってしまい、そのまま休むことに



もし難病にかかっていたら?

もし余命がもうすぐだったら?

そんな不安が1日中ずっと頭の中にあり、その日はなかなか寝つけませんでした



そして次の日、再び動物病院へ

そこで獣医に言われた言葉に、私の心はえぐられました




13へ続く





おしらせ



こんにちは!

ダイエット中なのに、暑さにやられて朝からアイスを5個も食べてしまった崖女です!



ゴールデンウィークが明けてから暑さが厳しくなってきましたが、読者の皆さま

体調は崩されてないですか?

大丈夫ですか?

5月頭の記事でも少し触れていますが、熱中症対策はしっかりしましょうね!


私は身体的には元気なのですが五月病にかかりました

ええ、ニートくせに

いやていうか今に始まったことじゃないですね

オールウェイズ五月病

年中無休の五月病

今日も今日とて五月病をこじらせております




とまあ私の事情なんてくそどうでもいいとして

今日はちょっとよろしくないお知らせがございまして、、、



すみません

今日と明日、ブログ更新をおやすみさせてもらいます( ;  ; )

「 これが私の人生です。シリーズ 」

楽しみにしてくださっている方

本当にごめんなさい( ;  ; )

私のブログを毎日読んでいただいている方がいるのかは不明ですが、、、

いてほしいなあ、、


もしかしたら明日は更新できるかもしれません

ただ、夜遅くの更新になるのでご了承ください



ご理解の方、よろしくお願い致します!涙




これが私の人生です。11




シルバーウィーク明け

いつもの日常が戻ってきました


連休中どこ行った〜とか

何してた〜とか

宿題やってないやばーいとか

みんな楽しそうに話していました


私もある意味おでかけしていましたが、

「 親が離婚して東北まで行ってたよ☆」

なんて言えるわけもなく。

ねえ!宿題終わってないんだけどー!笑

と、ケラケラとしていました

まあ宿題終わってないのは事実だしな、うん

嘘はうついてないよね、うん




母がいない日常に慣れるのに、そう時間はかかりませんでした

寂しいとかはもちろんありましたが

クヨクヨしている時間がもったいない!

前向きにならないと!

むしろ家事に慣れるいい機会やん!

と、もはや開き直りました


私のポジティブシンキングなところは、きっと両親の離婚がきっかけだったと思います

それまでも特別ネガティブというわけではありませんでしたが、立ち直りがめちゃ早!というわけでもない

それが今では落ち込み方を忘れるくらいにポジティブになりました

ある意味、離婚した両親に感謝



家事は手が空いた人、気がついた人がやるという形で、3人で協力してこなしました

祖母もごはんやお弁当を作りにきてくれたり、本当にありがたかったです


お母さんいなくてもけっこう大丈夫やん!

普通に生活できるやん!

とか余裕ぶっこいていた矢先のこと





犬に異変が起こりました




元々 病気持ちだったのですが、6歳になった当時突然悪化したのです

私の犬は生後1年弱の時に「 てんかん 」を発症しました

人間も発症する病気です(小児てんかんなど)


初めててんかんを発症し、動物病院に連れて行った時は

「 おそらく脳に何かしらの問題があると思われますが、これといった原因は特定できまさん 」

そう、獣医に言われました



原因が分からない?

うそでしょ?


診断結果を信じられず、他の動物病院を何軒も回りました

ですが、結果はどこも同じではっきりとした原因は分からずじまい

治療など何もできない

ですがそれはあまりにかわいそうなので、てんかんの発作が起きた時の対処法を教えてもらいました

発作が起きたらそれで対処する

それしか方法がなかったので、何年もそうしてきました



ですが、6歳の秋

突然の悪化

明らかに今までの発作とは違いました

今までは伏せの状態で全身に力が入り、頭部を中心に全身が小刻みに震える感じでした

それが体は完全に横たわり、前後の両足が走るようにバタバタと動くようになりました

てんかんというより痙攣に近いと思います



突然暴れるように全身が震えだした犬を前に、

私はパニックになりかけました

どうすればいいか分からない

いつもの対処をすればいいのか

それとももしかしたら触れない方がいいのか






このまま死ぬかもしれない、、、





最悪の結末が何度も頭をよぎりました

考えたくなくても、目の前の光景を見るとどうしてもそう思ってしまいます

ましてや原因不明の病気持ち

その可能性は十分にあります



だけど

絶対に死んでほしくない!!

その一心でした



「 ねえ、大丈夫だよね?死なないよね?

死んじゃだめだよ!◯◯!◯◯!!」



泣きながら今まで通りの対処法を行いました

少しでも震えがおさまるように

「 飼い主に触れてもらえている 」

少しでもそう安心してもらえるように


いつもと違う症状に、触ってもいいのか分からない状態でしたが、とにかく犬には私がそばにいることを分かってほしかったんです



数分後、次第に震えはおさまっていきました

発作から15分経った頃には何事もなかったかのようにケロッとしていました

あれは幻だったのかと思うくらいに


その姿を見てひとまず安心し、仕事中の父へ今起きたことを連絡しました

明日、動物病院へ連れて行こうとなり、翌日に学校を休んで連れて行きました




12へ続く





これが私の人生です。10



シルバーウィーク最終日

時間ははっきり覚えていませんが、午前中に家に着きました

帰りは何度も休憩しながらだったので、15時間近くかかったと思います


最終日ということもあり、溜まっていた疲れがピークに達しました

2日間お風呂に入れない不衛生な環境

栄養バランスガッタガタの食事

母がいなくなった喪失感

衛生的、身体的、精神的ダメージのトリプルパンチが3人を襲います

どれがアンパンチで、どれが食パンチで、どれがカレーパンチだろう(知らん)

とにかく猛烈な疲れが3人を襲いました


お風呂に入ってさっぱりしたい

でも動きたくない

ごはんをいっぱい食べて満たされたい

でも動きたくない

何もする気力が起きない

ていうか何より眠すぎる

だめだ、とりあえず一旦寝よう

そう思い、部屋に入った私がとった行動

それは





宿       題        。




そう、このドタバタですっかりうっかりさっぱり忘れ去られていた宿題

机に広げっぱなしだった教科書たちを見て思い出しました




いっけねえ、忘れてた☆〜(ゝ。∂)テヘ





いやまじ笑えん。




ちょっと前の記事にも書きましたが、5連休ということでいつもより大量に出されていた宿題

しかも私の苦手な数学がメイン

もちろん他の教科もあります

それをあと半日で終わらせろと?



え、無理

できない

終わるわけないやん



崖女終了のお知らせ\\\٩( 'ω' )و ///テッテレー





なんてふざけている場合ではない

提出期限はすぐそこに迫っている、、、!

速攻でとりかかる崖っぷちJK(16)

しかも苦手+大量の数学から(偉い)

苦手科目さえ終わらせてしまえばあとはもう楽勝だぜ作戦でいきました





が、まあ案の定終わるはずがなく。



途中放棄して寝ました(おい)




だって眠かったんだもん

だって疲れてたんだもん

だって難しかったんだもん

もんもんもーん



え?提出期限?

間に合ったわけないじゃないですか

すべて期限後に出しました

でも提出しただけでもえらくないですか?

あの状況の中よく頑張ったと思いませんか?


こういう自分に甘ちゃんなところが私のダメなところなんだろうなあ。と思いました。(作文)




ちなみにこの2週間後、2学期中間テストがありましたが

もちろん数学は赤点でした☆〜(ゝ。∂)テヘ



みなさん

勉強はちゃんとしましょう(説得力ないけど)

提出期限は守りましょう(説得力ないけど)

そうしないと




大変なことになりますよ





11へ続く







これが私の人生です。09




シルバーウィーク4日目の午前9時頃

母の実家へアポなし訪問


最初に祖母が出てきて、母を呼んできてもらいました

まーびっくりしてましたね

2人ともおったまげてましたね

そりゃそうだ


昨日別れたばかりの旦那と子どもが、翌日突然やって来たんですから

祖母も突然娘が(仮)離婚して実家に帰って来たと思ったら、翌日には義息子と孫が来るんですから

驚き以外の何物でもない


おばあちゃんよく心臓止まんなかったな、、


若干2人とも、特に母が迷惑そうでしたが。

、、、ごめんって、はるばる来たからちょっとくらい話聞いておくんなまし



半ば無理やり家にあがり、客間で家族会議

祖母には席を外してもらい、犬は車で待機させました

あ、窓は開けて水分も準備していたのでその辺はご安心を



父が話を進めていきます

本当にこのままでいいのか

本当は戻りたいんじゃないのか

など、本音を聞き出そうとするのですが

母は「 戻らない」の一点張り

父の言うことに一切耳を傾けない


「 許せない気持ちもあるけどやっぱり戻ってきてほしい」

と私が泣きながら言っても「 戻らない」


あの時間で何回戻らないって言葉を聞いたんだろうってくらい言ってましたよ

「 MODORANAI 」



同じようなやり取りが何十分も続きました

お互いが主張を譲らないので、こりゃもうだめだということで諦めて帰ることに



なるはずだったんですが

やはりどうしても諦めきれない父

「 もう1回戻って説得しよう」


え、お父さん諦め悪っ!

って思いましたね(正直か)

不倫されてもなお、母と暮らしたいってどんだけ好きなんもはや怖い


でもきっとそれだけが理由ではなくて、帰りの車内で泣いている私を見て提案してくれたのもあると思います

お父さん、ありがとう


ですが私はこの時、悲しいし涙は止まらない状態でしたが、すでにもう諦めていて帰る気満々でした

ていうか疲れと寝不足で思考が回らない

とにかく休みたい、寝たい

もうはやく帰ろうぜ

くらいの勢いでした

本音ダダ漏れ


母は昔から頑固な、それはもうカッチコチのガンガンガンガン頑固ちゃんな性格です

何を言ってももう戻ってこないのは分かりきっています

説得しようとすればするほど、母の気持ちが離れていくのは分かっていました


なので、さすがにもういいよ帰ろうと言いたかったのですが、、


まあ言えませんよね

父は独裁者

私は奴隷

許される答えはイエッサーのみ

忠誠心の塊系奴隷です

もちろん答えは



「 うん、、(イエッサー)(白目)  」

(兄はくそどうでもよさそうでした)



そしてまたもや再登場する元旦那と子どもたちに迷惑そうな母

ごめんよママン

奴隷は逆らえんのや、、



再び家族会議が始まりました

会議といっても、本当にこれでいいんだね?という最終確認みたいなものですけどね


私は泣きながら戻ってきてと言いましたが、

答えはやはりNo 

まあそうですよね。って感じでした


その様子を見てさすがに父も諦めがついたのか

もう帰ろうと言いました

最後に母に

「 今まで本当にありがとう 」

と、握手しながら言っていました

その光景がめちゃくちゃ切なくて、今でも忘れられません


「 あ、もうこの2人は本当に他人になるんだ 

もう4人で集まることがないんだ 」

と実感したのを覚えています

(兄は相変わらずくそどうでもよさそうでした)




そして、私たちが母の実家に戻ることはありませんでした





10へ続く